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蓮華

SNSでの足跡23456hitのキリリクです。
今回は先にリクエスト内容を書きます。
踏まれた方が絵師さんでして、その絵師さんに『絵を描いてほしい話』というキリリクでした。



朝、夕鈴は侍女に薄く化粧されながら、ふと化粧道具入れの蓋に目をやった。
そこには螺鈿細工で、蓮の花の意匠が施されている。
「蓮…そう言えば花の時期はそろそろかしら?」
「まだ少し見頃には早うございますが、ちらほらと咲いておりました」
にこにこと笑みながら答える侍女に、夕鈴は続けて尋ねた。
「どちらの池に咲いているのでしょうか?」
「回廊近くの大池の、奥の方に生えております」
その侍女の答えに、あの池なら一人でも見に行けるわねと夕鈴は思い、早速今日にでも行ってみようかしらと考えた。

侍女を引き連れ回廊を歩き、目当ての池へ行く途中で、夕鈴は遠くに黎翔の姿を見付けた。
官吏数人に向かって激しい口調で、何か指示を出しているように見える。
――お忙しそうね…
袖で口元を覆いつつ池の方へ足を向けた時、よく通る声で己の名を呼ばれ夕鈴は驚いた。
「夕鈴――そこに居てくれ」
「へ!?」
つかつかと足早に向かってくる黎翔に、夕鈴は目を丸くしたまま動けずにいた。
「――我が妃は夫を無視して、どこへ行こうというのか?」
「む、無視した訳ではありません。お忙しそうでしたので、声をおかけしてはいけないかと…」
黎翔は夕鈴の髪をさらりと指で梳くと
「姿だけ見せて、その愛らしい声を聞かせてくれないとは――何と意地の悪い」
とニヤリと笑った。
「いっ!?意地が悪い訳ではありませんっ」
プイッと横を向いた夕鈴の顎に指をかけ、自分へと顔を向けさせた黎翔は
「――それで、どこへ行くつもりなのかな?」
と目を細めた。
「そ、そこの池に、あの…蓮の花を見に」
顔の近さに頬を赤らめ、それでも何とか答えた夕鈴に、黎翔は
「それなら私も共に行くとしよう」
と事も無げに言った。夕鈴は高鳴る胸を押さえながら
「でも、陛下はお忙しいのでは?」
と首を傾げたが、黎翔は夕鈴の手をとると
「息抜きだ」
と庭園へ降り立った。

池の縁に沿って二人で歩んで行くと、池の奥の方に水面から突き出した蓮の葉と、いくつかの花が見えた。
「あっあれですね?でも岸からは遠いですね」
残念そうに言う夕鈴に、黎翔は思い出したように尋ねた。
「確か船があった筈だが…乗ってみるか?」
「え?船、ですか?う…ん乗ってみたい気もしますが、揺れません?」
不安気な夕鈴の様子に、黎翔は口角を上げた。
「揺れが怖いなら、私に抱き付いていれば良い」
「~~~っ!!」
真っ赤になった夕鈴の頬を撫で、楽しげに笑う黎翔は、すっと前方を指差した。
「ほら、あの船だ」
それは飾り気も無い、実質本位な小さな船だったが、二人で乗るには充分だった。
「宴で浮かべる船とは違って、管理用の船だが」
「…陛下、漕げるんですか?」
「多少はな」
黎翔は岸に沿うように浮かんでいる船に乗ると、夕鈴に手を差し伸べた。
「――怖いか?」
夕鈴は黎翔の手に自分の手を重ね、いいえと小さく答えると船に乗り込んだ。
その時ゆらり、と船が揺れ、夕鈴は思わず黎翔の胸にすがり衣をぎゅっと握りしめた。
「ゆっくり、腰を下ろしてごらん」
耳元で優しい声で囁かれ、夕鈴はおずおずと腰を下ろす。
黎翔は船の中にあった櫓を手に取ると、先端で岸を押すように力を込めた。
ゆっくりと船は岸を離れて行く。
黎翔は次いで櫓を池の中に差し込み、両手で押し出す。
水の上を滑り出した船に、夕鈴は感心した声を上げる。
「陛下、お上手ですね。それに立っていられるなんて凄いですっ」
小さな船は、ちょっとした重心の傾きでも大きく揺れる。
こんなに揺れる物に立てるなんて、と夕鈴が考えていると、クスリと黎翔の笑い声が頭上から降ってきた。
「下ばかり見ていると酔うぞ」
「あ、そ、そうなんですか?」
夕鈴は船の縁をぎゅっと握ったまま、顔を上げた。
途端に、青々とした大きな葉が視界に飛び込んできた。
綺麗な緑色の丸い葉は上を向き、コロコロと丸い水の粒を乗せていた。
葉の合間には濃い桃色のツボミや、それより淡い色の花が見える。
黎翔は櫓を池の底に刺すようにして船を止めると、夕鈴の前にゆっくりと腰を下ろした。
睡蓮と違って、蓮の葉は水面から突き出て乱立している。
そのため腰を下ろした二人の姿は蓮の葉の中に隠れてしまい、岸からは見えなくなった。
緑の檻の中で二人は見つめ合う。
夕鈴は真っ直ぐな黎翔の視線に居た堪れなくなり、蓮の花に目をやった。
「まだ咲き始めですけど、綺麗ですね」
「ああ、まだ気の早い者達しか咲いていないな」
ぱしゃん、と魚が跳ねたらしい、小さな水音が響く。
「陛下、お花を何本か持って行っても宜しいでしょうか?」
「勿論。好きにすると良い」
黎翔は近くの花に手を伸ばし、いつの間にか手にしていた小刀でその茎を切った。
「我が妃のように瑞々しい花だな」
笑みながら大輪の蓮の花を夕鈴に手渡した黎翔は、次の花へと手を伸ばした。
蓮は花だけでなく、葉やツボミも大きい。それらを数本摘んだだけで、二人の間には蓮が山のようになった。
「本当に美しい花ですね」
夕鈴が手にしている一輪の花から、花びらを一枚プチンと抜き取った黎翔は、それを夕鈴の唇に当てた。
「このような淡い色の紅も、似合うであろうな」
「そ、そうですか?」
ドキドキと鼓動が速まり、頬を染めた夕鈴にクスと小さく笑みを溢した黎翔は、夕鈴の唇に当てた花びらの上に軽く口付けした。
花びらごしに伝わった感触に夕鈴が固まっていると、黎翔は立ち上がり櫓を手にした。
「――そろそろ戻るか」
再び静かに滑り出した船の上で、夕鈴はぐるぐると目を回しつつ考えていた。
――な、なに今の!?仲良し夫婦の演技?でも周りに誰もいないのに!?あ、それとも私が気付かないだけで、誰かいたのかしら?
徐々に見えてきた岸には、夕鈴付きの侍女が二人、自分達の主の戻りを待っていた。
船を岸に着け、先に降り立った黎翔は船の中から夕鈴を抱き上げた。
「きゃっ!!へ、陛下!?」
「もう少しだけ、我が妃の甘い姿を堪能させてくれ」
侍女達は仲睦まじい二人に笑みながら、船の中の蓮の花や葉をまとめると腕に抱えた。

後宮まで夕鈴を抱いたまま送り届けた黎翔は、夜に渡る約束をして王宮へと戻って行った。
侍女達は早速、大きな花瓶に蓮の花を活け始める。
「花瓶に描かれているのは…水鳥ですか?」
夕鈴の問いに侍女達は微笑む。
「はい、オシドリでございます。蓮の花と同じく、夫婦和合の意匠ですわ。いつも仲睦まじいお二人にぴったりかと」
お妃スマイルを浮かべつつも、頬を赤らめる初々しいその姿に、侍女達の笑みも深まる。
その時、花を活けていた侍女の手が止まった。
「あら?お妃様、こちらの花は花びらが一枚足りないようですが、如何いたしましょうか?」
花びらの一枚足りない花を見せられた夕鈴は、ボンッと顔を一気に赤くした。
「そ、そのまま活けて下さい」
袖で顔を隠しつつ言う夕鈴に、二人の侍女は顔を見合わせたが、すぐに
「はい、お妃様」
と笑み、再び花を活け出した。

活けられた花の中から、花びらの足りない蓮の花を目にする度、お妃様は恥ずかしそうに頬を染めるのであった。



*オマケ*
その夜、お茶を飲みながら。
「夕鈴って、そんなに蓮が好きだったの?」
「好きですよ?だって、実も根も食べられるじゃないですか」
「――ああ…やっぱり、ね」
「…何ですか?」
「いや――茎を食べる地方もあるんだよ?」
「え?本当ですか!?」
「――今度料理してみようとか思ってる?」
「っ!!…何で分かるんですか!?」

SNS初出2013年6月23日
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蛍火

家のすぐ近くに、蛍が飛ぶ小川があります。



「お妃様、蛍を御覧になりまして?」
夜、湯殿から自室に戻った夕鈴は、侍女に髪を梳かれながら尋ねられた。
「蛍?いいえ、近くにいるのですか?」
「はい、すぐ近くの池の周りに、沢山飛んでおりました」
夕鈴の髪を丁寧にくしけずりながら侍女は、ほぅと溜息を吐いた。
「とても美しく、夢の様な光景でございました」
「まぁ、それなら是非見てみたいですね」
にっこりと微笑む夕鈴に、侍女は
「かしこまりました。明日、陛下にお伝えしておきます」
とニコニコ笑いながら言った。
――え?何で陛下!?
夕鈴は内心戸惑ったものの、お妃スマイルのまま
「陛下はとてもお忙しい方ですから、ご無理には…」
と言ってみたが、侍女はなおも笑いながら、是非お二人でと勧めた。


「妃よ、今戻った」
「お帰りなさいませ、陛下」
いつもの様に、にこやかに出迎える夕鈴を見た黎翔の頬が知らず緩む。
「――何やら行きたい場所があるようだが?」
「え?……あっ」
夕鈴は言われた内容がすぐには理解できずにいたが、前日の侍女との会話を思い出し頬を染めた。
「申し訳ありません、お疲れでしょう?」
「我が妃から、夜の散策の誘いなど珍しい事だ。断る気など無いが?」
自分を気遣う夕鈴の気持ちが嬉しいと、黎翔は夕鈴の手をとり指先に口付ける。
「――さぁ我が妃よ、参ろうか」
侍女から灯籠を受け取った黎翔は部屋を出る際、二人きりにと命を下し、夕鈴の手をとったまま庭園へと向かった。

「夕鈴、足元気を付けて」
灯籠で照らしているとはいえ、ぼんやりとした明るさしかない闇の中を二人は進んで行く。
歩き慣れた場所の筈なのに、昼と夜では違う顔を見せる後宮の庭園に、夕鈴の足がすくむ。
黎翔はクスッと笑い灯籠を夕鈴に持たせると、軽々とその体を抱き上げる。
「陛下!?」
「この方が早い」
横抱きにされた夕鈴は灯籠を持つ腕を伸ばし、出来るだけ足元を照らそうとした。
「――僕は夜目が利くから大丈夫だよ」
笑いを含んだ声が耳のすぐ近くで聞こえ、夕鈴は肩をすくめた。

日中は太陽に照らされ熱を持っていた地面や空気も、今はひんやりとした風が吹き抜け、夜独特のしっとりとした冷気に満ちている。
「……あ」
ふわりと舞った小さな光に、夕鈴は思わず声をあげた。
その数は徐々に増え、やがて池の周りに千千に舞飛ぶ光の乱舞が見えて来た。
うっすら緑がかった黄色い光が、息をするように点滅しながら舞踊る。
「綺麗、ですね…」
黎翔は夕鈴をそっと地面に降ろし立たせると、蛍に見惚れているその細い背中を後ろから抱き締めた。
「へ、陛下?」
「あんまり見惚れてると池に落ちるよ」
きゅっと抱き締め直した黎翔は、夕鈴の肩に顎を乗せ、頭をこつんと夕鈴の頭に寄せた。
「こんなに沢山の蛍を見たの、初めてです」
幻想的な蛍の光に目を奪われたままで、夕鈴が囁いた。
「――蛍はなぜ光ると思う?」
黎翔からの問いに、夕鈴は自分に回された黎翔の袖の端を少し掴み
「何故ですか?」
と聞き返した。
「恋人を、呼んでいるんだよ――自分はここにいる、と教えているんだ」
「恋人を?」
「あぁ、伴侶と言った方が良いかな」
夕鈴は掴んでいた袖を放すと、黎翔の指先におずおずと軽く手を重ねた。
「――皆、無事に伴侶が見付かるのでしょうか」
黎翔は夕鈴からの思わぬ行動に少し目を瞠ったが、指先だけに触れている夕鈴の手を、両手で包むように握り締めた。
「――きっと、見付かるよ」
僕達のように、という言葉を飲み込んだ黎翔は、夕鈴の指をまるで確かめるかのようになぞった。
そして夕鈴が片手に持っている灯籠を持ち上げると、ふっと息を吹き掛け灯りを消した。
「え!?」
「暗い方が、蛍火が綺麗だから」
「でも、帰りが…」
黎翔は自分のすぐ側にある、夕鈴の耳元で囁いた。
「夜目が利くと言っただろう?それに今夜は、月も時折雲から出ているから大丈夫だ」
暗闇の中で夕鈴は、自分の頬にさらりと触れる黎翔の髪と、その近さに顔が火照り出した。
ふ、と黎翔が笑った気配がした。
「君が今、顔を赤らめているのも分かるよ」
「なっな、何で!?」
「蛍火とは違い、君の頬は染まると熱を持つからね」
クスクス笑う黎翔の息が耳にかかり、くすぐったいのと恥ずかしさから夕鈴の頬は一層赤くなった。

仲睦まじく寄り添う二人の姿は、乱舞する蛍火によって朧気に、その姿を暗闇の中に浮かび上がらせていた。

SNS初出2013年6月17日

キスデー

6月14日は【キスデー】だそうです。



初夏は天気が目まぐるしく変わる。
雨がしとしとと降っていたかと思うと、雲間から光が差し急に暑くなる。
「あ~暑いわね…」
夕鈴は池のほとりの四阿で椅子に座り、扇でパタパタと自分に風を送った。
行儀が悪いとは思うが、お茶の用意を済ませた侍女達は下がらせたし、自分だけだから良いわよねと思いつつ、念のため夕鈴は周りを見回した。
紫陽花の花びらに先程まで降っていた雨が残り、光を反射してキラキラと輝いている。
洗い立ての葉も色艶を増し、花の色を引き立てていた。
雨が降っている間は後宮の自室にいる他なく、する事といったら巻物を読んだり青慎に手紙を書いたり、刺繍をしてみたりと退屈な事ばかりだった。
「やっぱり外の空気を吸うと気持ち良いわ」
夕鈴は大きく深呼吸して、雨上がりの香りの残る空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
遠くの空にはまだ灰色の雲が残っているのが見え、また一雨くるのかしらと夕鈴は首を傾げた。

お茶を飲みぼんやりと紫陽花を眺めていると、ポツポツと雨の音が聞こえてきた。
戻らなきゃ、と思い立ち上がるものの、雨足は強くなりザーザーと激しく降り出した。
周りの景色は白くなり、気温も下がっていく気がする。
「…止むまで待つしかないかしら」
今、四阿を出ても濡れずに戻れるはずもなく、すぐに止むだろうと夕鈴はもう一度椅子に座り直した。
卓に肘を付き、手の上に顎を乗せて白く滲む風景を眺める。
あふっとアクビを一つした夕鈴は、卓の上に両腕を重ね頬を乗せた。
顔が横向きになった姿勢で、夕鈴は雨に打たれ揺れる紫陽花を眺めていた。


妃が戻らない、と黎翔が聞いたのはそれから少し後、休憩をしようと夕鈴を探している時だった。
侍女から、妃は四阿にいるはずと聞いた黎翔は外套を頭から被ると、雨の中へ飛び出して行った。
「――夕鈴?」
黎翔が四阿へ駆け込み中を見ると、すやすやと眠る夕鈴の姿があった。
「こんな所で…」
黎翔はフッと笑うと、濡れた外套を空いている椅子に乗せ、自分は夕鈴の横に片膝を立てて座った。
「夕鈴、風邪をひくよ?」
卓に横向きに伏している、夕鈴の顔を覗き込みながら黎翔が言うが、夕鈴は起きる気配がない。
抱いて戻ろうにも、この雨の中では酷く濡れてしまうだろう。
「――止むまで待つしかない、か」
黎翔は椅子を一つ夕鈴の横に運び腰掛けると、卓に頬杖をついて夕鈴の寝顔を見つめた。
起きている時には豊かな表情を見せる顔も、今はあどけない表情ですやすやと寝息を立てている。
「無邪気な寝顔だな…」
黎翔は手を伸ばし、夕鈴の頬にかかる髪をすくうと後ろへと流した。
そのまま髪を撫でると、夕鈴が身動ぎした気がして黎翔は夕鈴の顔を見た。
だが依然として瞳は閉じられたままで、黎翔は軽く溜息を吐いた。
「――起きないと襲っちゃうよ?」
早くその大きな瞳に自分を映して欲しいと、黎翔は夕鈴に話し掛ける。
「狼の前で寝る兎なんて、食べられても文句言えないよ」
夕鈴の頬を柔らかくなぞると、かすかにまぶたが震えた。
黎翔は目を細めると、そのまぶたに口付けを落とす。唇を離し顔を覗き込んだ瞬間、夕鈴の目がパチリと開いた。
「っ!!へ、陛下!?」
夕鈴はガバッと上半身を起こし、後ろに下がろうとした。だが椅子に座っていたという事を思い出した時には、夕鈴の体は黎翔の腕の中だった。
「あ、危なかっ…」
夕鈴の呟きに、黎翔は安堵の溜息を漏らした。
「夕鈴、気を付けなきゃ駄目だよ?」
「な…何で陛下があんな近くに…?」
動悸が激しくなった夕鈴は、黎翔の腕の中で頬を染めた。
「――よく寝てるなって見てたんだ」
にこっと笑う黎翔に、夕鈴は目覚める直前にまぶたに触れた温かい物は、夢だったのかしらと考えた。
眉根を寄せる夕鈴を見た黎翔はクスリと笑うと、いつの間にか雨が上がった空を指差した。
「夕鈴、ほら」
「え?あ、虹…」
二人で見上げた空にかかる大きな虹はとても美しく、心配して迎えに来た侍女達が見たのは、無言でただ寄り添い空を見上げる国王夫妻の姿だった。

SNS初出2013年6月14日

雨漏り

SNSでの足跡22223hitのキリリクです。
そして今回のお話、前回の22221hitキリリクと若干続いております。



初夏のある日、青慎からの手紙を読んでいた夕鈴は、大変!と一言呟いた。

「夕鈴、李順から聞いたけど里帰りするんだって?」
夜、夕鈴の部屋に渡り侍女を下がらせた黎翔は静かに尋ねた。
「はい、どうやら私の部屋が雨漏りしていたらしくて…普段誰も入らないので気付くのが遅れて、この所の雨で色々濡れてしまったようなんです」
夕鈴は苦笑しながら、黎翔の前の卓に茶杯を置いた。
「それで大丈夫そうな物と、そうでない物を分けて片付けて来ようと思いまして」
流石に父や青慎にも見られたくない物もありますから、と夕鈴は笑った。
「じゃあ僕も手伝いに」
「陛下は来ちゃダメですよ?お仕事が溜まってるって李順さんから聞きました」
言葉を遮られた黎翔は、面白くなさそうな顔をした。
「それに、その…見られたくない物もあると言いましたよね?」
顔を赤らめる夕鈴を見て、黎翔は首を傾げる。
「――何?」
「その、濡れた物の中には、服が入っていた衣装箱もあって…」
「――あぁ、なるほど」
理解した様に頷く黎翔に、夕鈴は一層顔を赤らめた。


「ただいまー」
「あ、姉さん、お帰りなさい」
パタパタと出迎えてくれた青慎を、夕鈴はぎゅっと抱き締めた。
「大変だったわね、他の部屋は大丈夫だったの?」
「うん、姉さんの部屋だけ…気付かなくてごめんね」
眉根を下げ、済まなさそうに笑う青慎の肩を叩き、夕鈴は元気良く言った。
「さぁ、さっさと片付けて、何か美味しい物でも作るからねっ」
そして家に入っていった二人は、少し離れた建物の陰から様子を窺う人物がいた事に、気付きもしなかった。

「あ~あ、コレは駄目ね」
衣装箱から次々と服を出しながら、夕鈴は洗う物と処分する物に分けていった。
雨漏りの水は綺麗な物ではない上に、箱から染みだした色が移ってしまった物もある。
洗濯しても落ちないだろうと思われる物は、勿体ないと思いつつも処分する事にした。
「うん…こんな物かな」
洗う物をまとめて立ち上がった夕鈴は、卓の上に置いてある包みに目を留めた。
「あ、忘れてた」
その包みを手にした時、庭から聞き覚えのある声がした。
「こんにちはー」
「……まさか」
自然にジト目になりつつも、夕鈴は急いで声のした方へ向かった。
「夕鈴♪」
「なっなんでっ!?」
やはりそこには夕鈴の予感通り、満面の笑みの黎翔が立っていた。
「お仕事はどうされたんですかっ!?」
「急ぎの物は終わらせたよ。片付けには男手も必要じゃないかと思って」
ニコニコとしっぽを振りながら言う黎翔に、夕鈴は帰った時の李順の顔を想像し身震いした。
「あ…李翔さん?いらっしゃいませ」
おずおずと顔を出した青慎に、黎翔は笑顔を向ける。
「こんにちは、青慎くん。お土産は気に入った?」
「え?」
キョトンとした青慎を見て、黎翔は夕鈴に尋ねる。
「あれ?まだ渡してないの?」
「あ、忘れてて…青慎、コレ」
夕鈴から包みを渡された青慎は
「あの…立ち話も何だし、李翔さんにあがって頂いたら?」
と夕鈴に言った。
「で、でも李翔さんはお仕事が…」
「喜んであがらせて貰うねー」
「へ、李翔さんっ!?」
自分の横をすり抜け家に入って行く黎翔の後ろ姿を見た夕鈴は、本当に大丈夫なのかしらと眉間にシワを寄せた。

卓に着き、三人でお茶を飲みながら他愛もない話をし、それらが一段落した頃、青慎が包みを広げた。
「うわ…」
そこには華美ではないが、高価そうな硯があった。
「姉さん、これどうしたの?」
「ちょっと前に、市に行ったの。その時に青慎へのお土産を買おうと思って色々見たんだけど、やっぱり使える物が良いと思って」
笑いながら言う夕鈴に、青慎は不思議そうな顔を向ける。
「市?姉さん掃除婦のバイトなのに、出かける事あるの?」
「……え?」
「それに、これ凄く高価そうだけど…お金大丈夫だったの?」
笑顔のまま固まった夕鈴を見て、黎翔がクスリと笑った。
「青慎くん、これは内密にして欲しい事なんだけど…」
「…はい?」
「国内に、離宮が数ヶ所ある事を青慎くんは知ってるかな?」
「は、はい。話だけは…」
頷く青慎と、静かに話す黎翔を見た夕鈴は、陛下は一体何を言うつもりなのかしらと成り行きを見守った。
「その離宮の一つに問題があってね、女官の掃除がとても下手、と言うか手際が悪いんだ」
「はぁ」
「そこで、王宮の掃除婦の中で一番手際の良い夕鈴が、指導しに行ったんだよ」
「えぇっ!?」
驚いて夕鈴の顔を見る青慎に、夕鈴はただ黙ってコクコクと頷いた。
「もちろん僕も上司として一緒にね。そこで二人で硯を選んだんだよ」
「…そうなんですか」
硯をまじまじと眺める青慎を見て、素直で可愛いな、と黎翔は微笑んだ。
「お金はその時の臨時ボーナスだよ」
「…姉さん、ありがとう」
にっこり笑う青慎に、夕鈴も笑みを返す。
「もうそろそろ、良い道具を使う歳だものね」
そんな二人のやりとりを見て、黎翔が静かに口を開いた。
「――青慎くんは幸せだね。優しいお姉さんがいて」
「李翔さん?」
黎翔はスッと手を伸ばし、夕鈴の髪を指先に絡めると
「あぁ、でも姉弟ではこんな事も出来ないか」
と夕鈴の髪に口付けた。
「へっ李翔さん!?青慎の前で止めて下さいっ」
「うん、じゃあ二人きりの時にね」
にっこり笑う黎翔に、このヒト何て事言うの!?と夕鈴は顔を真っ赤に染めた。
「姉さん、やっぱり…そういう…?」
こそっと訊いてきた青慎に、夕鈴は激しく首を振った。
「違うから、そんなんじゃないからっ」
「夕鈴は恥ずかしがり屋だなぁ」
楽しそうに笑う黎翔を睨み付けながら、夕鈴は
「誤解されるような事言わないで下さいっ」
と語気を強めたが、黎翔はニヤリと笑い
「誤解?僕と夕鈴の関係を?…誤解なんかしないよねぇ?」
と青慎を見た。
「え?えーと、その…」
しどろもどろになる青慎に、黎翔は意味ありげに目を細める。
「僕達の関係なんて、見てれば分かるよね?」
「だからっ、そういうの止めて下さいって!!」
仲良さげに痴話喧嘩を繰り広げる二人を前に、やっぱり父さんを探して来るべきかな、と青慎は思った。



※リクエスト内容は
『青慎くんの前で姉をタラシにタラシまくる李翔さん』

SNS初出2013年6月13日

密室

SNSでの足跡22221hitのキリリクです。
本当は22222に設定していたのですが、踏まれた方からお返事がなかったので、前後の方にニアピンとしてリクエストをお伺いしました。



「ゆーりん、僕明日ちょっと出かけなきゃならないんだ」
「え?お出かけ、ですか?」
茶杯を受け取りながら黎翔が言った言葉に、夕鈴は目を丸くした。
「うん、視察にね。近いから日帰りだけど…夕鈴も行く?」
ニコニコ笑いながら言う黎翔に、夕鈴は口ごもる。
「公務に、妃が付いて行くのも…」
「相手方は、ぜひお妃様もご一緒にと言っていたよ?」
うーん、と夕鈴は少し考えながら、手の中の茶杯を眺めた。
「それに近くには市も立つから、一緒に見に行こうか?」
「…市?」
黎翔はお茶を一口飲むと、にっこり笑った。
「変わった物も多く売られているから、青慎くんに何か買おうか?」
「え?いいんですか?」
「うん、もちろん」
「行きますっ」
元気良く答える夕鈴を見て、黎翔はクスクス笑いながら
「明日が楽しみだね」
と目を細めた。


翌日の朝早く、国王夫妻は馬車に乗り込み、数騎の護衛と共に視察へと出発した。
「ここからどれくらいですか?」
揺れ始めた馬車の中で、夕鈴が尋ねる。
「そうだな…一刻ほどかな」
「長いですね」
じっとしているのが苦手な夕鈴は、軽く眉根を寄せた。
「ん~今回は近い方なんだけどね」
苦笑しながら言う黎翔を見て、夕鈴はハッと気付いたように
「すいません、自分で行きたいと言ったのに、文句言っちゃって…」
と困ったような笑顔を見せた。その夕鈴の髪を一房すくった黎翔は
「いや、我が妃は働き者だからな。じっとしているのも退屈な事だろう」
と髪に唇を寄せた。
な、何で狼!?と固まる夕鈴の耳元で黎翔は囁く。
「護衛の兵が横に付いたからね。会話は聞こえないとは思うけど、念のため」
その顔の近さに夕鈴は頬を染めながらも、黎翔の言葉に納得した。

護衛を伴った馬車は街を抜け、どんどん細くなってゆく道を進む。
「今から行くのは、先日の大雨で川が氾濫した場所だ。幸い周りには民家も無く、被害も無かった」
「…そうなんですか」
ホッとした様子の夕鈴に、黎翔は
「我が妃は心優しい事だな」
と口角を上げ話を続けた。
「今回は被害が無かったから良いが、今後も無いとは限らない。どの様に河川の補修をしたら良いか、それを考える為の視察だ」
「……本当に私が一緒で良かったのですか?」
思ったより深刻そうな内容の話に、夕鈴は困惑した表情を浮かべた。
「あぁ、その辺りで力のある貴族が、ぜひお妃様に一目拝顔をと言っていた」
「な、何故でしょうね?」
「――私が前回会った時に素っ気ない態度をとったからな、妃に取り入ろうとしているのか…」
黎翔は夕鈴を見つめニヤリと笑った。
「それとも私に縁談話を持ちかけたい為に、妃を見たいのか」
「え!?」
目を丸くした夕鈴に、黎翔は笑みを浮かべたまま
「――だから、いつもより仲の良い夫婦を見せ付けなければな」
と向かい合って座っている夕鈴の手を掴むと、自分へと引き寄せた。
ドサッと自分に倒れ込んだ夕鈴を、黎翔は膝の上に座らせる。
「え!?陛下、まだ演技は必要ないのでは!?」
「街道沿いにも民はいる。貴族の手の者が様子を窺っていないとも限らないからな」
それに、と黎翔は続けた。
「この先は道が悪く揺れも大きくなる。君があちこちぶつけたりしては大変だからな」
黎翔の膝上に横抱きにされ、しっかりと自分の背と腰に回された黎翔のたくましい腕に安心感はあるものの、それとは裏腹に夕鈴の鼓動は激しくなる。
「ま、まさか着くまで、このままですか?」
「無論」
当然だと言わんばかりの黎翔の口調に、夕鈴の鼓動はますます速まる。
それにつれて火照っていく頬を、夕鈴は隠すように袖で覆った。
「――この辺りは目を楽しませる花もない。唯一の花を私から隠さないでくれないか?」
黎翔は夕鈴の顎を捕らえ、自分へと顔を向けさせる。
妖艶な笑みを浮かべる黎翔と間近で顔を合わせた夕鈴は、一気にぼふっと顔を紅潮させた。
黎翔はそんな夕鈴を見て
「君のその初々しい所が余計に私を惹き付ける――こんな密室で、あまり私を煽らないでくれ」
とクスリと笑った。
「へ、陛下…もう、その辺で…」
あまりの事に目を回しそうになる夕鈴に、黎翔は笑みながら囁く。
「帰りも馬車の中、二人きりだな」
―――もう無理ですー!!
声にならない妃の叫びは、護衛の者にも気付かれる事なく、ただ上機嫌な国王だけが知っていた。



※リクエスト内容は
『公務で外出の行き帰りの馬車の中、密室でタラされまくる夕鈴』

SNS初出2013年6月13日

秘め事

SNSでの足跡22000hitのキリリクです。



最近、何だか夕鈴が楽しそうだ。
いや楽しそうと言うか何だか様子がおかしい。
夜のお茶の時間にも、にこにこっと笑ったかと思うと、そのすぐ後で窓の外に心配そうな瞳を向ける時もある。
「――夕鈴、最近何か変わった事あった?」
「え?……いえ、何もないですよ?」
固まった笑顔のままで答える夕鈴に、僕はこれ以上聞いても無駄かと掌の中のお茶を飲んだ。

日中、休憩時間に四阿で一緒にお茶を飲んでいる時も、ふとどこか遠くを眺める事がある。
その時の物憂げな表情は、夕鈴を見慣れているはずの僕でさえ見惚れてしまうほどだ。
だから夕鈴の姿をたまにしか目にしない官吏が、回廊を通りかかった時に足を止め熱い視線を送るのも無理はない、と理解は出来るが面白くない。
綺麗な横顔を見せる夕鈴の髪を一房すくい、指に絡めて軽く引くと、夕鈴がやっとこちらを向いた。
「我が妃は一体何に心奪われているのか」
囁きながら髪に口付けると、夕鈴はカアッと頬を赤らめた。こういう反応は変わらないなと思っているとどこからか視線を感じ、そちらに目をやると先程とは違う官吏が数人、回廊からこちらを見ている。
「――暇なのか…?」
思わず小さく呟いた僕に、夕鈴が驚いたような顔をした。
「陛下?」
「いや――それで妃の憂いのもとは?」
「…何も憂いてなど……」
口元を袖で隠しながら、視線を逸らす夕鈴の頬を僕はそっと捕え、自分へと向かせる。
「君は私の事だけを考えていれば良い。それとも他に気になる者でも?」
「気に…なる?」
冗談半分に言った言葉に、夕鈴の瞳が揺れたのを見た僕は、胸の中がざわめくのを感じた。
「―――いる、のか?」
まさか先程こちらを見ていた官吏の中にでもいるのかと回廊を見たが、そこにはもう誰もいなかった。
「え、あ…あの、別に何も気になる事などありませんからっ」
僕の雰囲気が変わったのを察してか、夕鈴は慌ててそう言って僕の手から逃れた。

政務室へ戻る道すがら、僕は考える。
――夕鈴に好きな者ができた?
いや、考えすぎか?
確かにここの所、話しかけても上の空な時があったり、何かを考えながら頬を染めたり、嬉しそうな笑みを浮かべたりしている時があるが…
―――誰だ?
僕は政務室へ入るとぐるりと中にいる人間を見渡した。
官吏達がビクッと震え目を逸らした所を見ると、どうやら自分から抑え切れない何かが漏れているらしい。
「――陛下、この案件ですが」
冷たい冷気をまとう私に話しかけてくる者など、李順と、この方淵くらいなものだ。
――方淵?
そう言えば、夕鈴とはあの宴の準備期間から、水月と共に仲良さげにしているな…
「――で、よろしいでしょうか?」
「駄目だ、全く形になっていない。裏付けが不十分すぎる――今すぐ練り直せ」
「はっ」
すぐに踵を返し去って行く方淵の背を見ながら、睨み合っているうちに心惹かれる事はあるのだろうかと考える。
遠慮がちな咳払いが聞こえ、私は書簡を広げ筆を走らせた。全く李順は仕事熱心な事だ。
――李順?
言われてみれば、自分の次に夕鈴と接触する機会の多い男では?だが姑扱いしている男との間に、恋愛感情が芽生えるものだろうか…
私が次の書簡に手を伸ばした時に、俯いている水月の姿が目に入った。
――水月?
夕鈴が家出した時、水月ととても親しげにしていたな…
考え出すとキリがなく思えてきた私は立ち上がり、李順に後宮へ行くとだけ伝え足早に政務室から出た。
李順が後ろで何か言っていたが、今はそれどころではない。


「我が妃よ、ここにいたのか」
女官に聞いた場所へ向かうと、こちらに背を向けて夕鈴が立っているのが見えた。
「へ、陛下!?」
うろたえながら振り向いた夕鈴は、後ろ手に何かを隠す様な素振りを見せた。
――まさか好きな男からの恋文でも?
「我が妃がその胸に秘めている隠し事は何なのか…夫である私に教えてくれないか?」
じり、と距離を縮めると、夕鈴は顔を真っ赤にして後退る。よほど私に見られたく無い物なのか?
胸の中がモヤモヤして、つい夕鈴が怖がる狼が出てしまう。
「―――夫にも言えない事、か?」
「そ、そんな…」
あぁ、夕鈴の目に涙が浮かぶ。君は本当に狼の私が怖いのだな。
私は夕鈴との距離を一気に縮めると、夕鈴を抱き締め腕の中に閉じ込めた。
そっと手を夕鈴の隠している物へ伸ばすと、何か固い物に触れた。持ち上げると、あっと小さく夕鈴が叫んだ。
「――鉢?」
見ればそれは小さな鉢で、何かが植わっている。
「我が妃の憂いのもとはこれか?」
「あっあの、やっと根付いた所なんですっ」
紅潮した頬を隠しもせずに、夕鈴は必死に訴えた。
「これは…花でも咲くのか?」
「はい……以前、陛下が散策のおりに手折って下さった花で…」
夕鈴の思わぬ言葉に、僕は本気で驚いた。
「しばらく活けていましたら根が出ましたので、庭師に相談して鉢植えに…」
そこまで言った夕鈴は恥ずかしそうに押し黙った。
「花が散ったなら、捨てても良かろうに」
「だって、せっかく陛下が下さった花ですから…」
一層頬を赤らめ視線を落とした夕鈴を、僕はぎゅっと抱き締めた。
「我が妃が望むなら、国中の花でさえ目の前に並べてみせよう」
「~~ま、またそんなお戯れを…っ」
―――そうか、君が思っていたのは他の誰でもなく、僕自身が贈った事すら忘れていた、小さな一輪の花の事だったのか。
嬉しくなった僕は、控えていた侍女達を下がらせると夕鈴に耳打ちした。
「やっぱり夕鈴は、僕のお嫁さんなんだよね」
「…?陛下?どうしたんですか?」
僕はその問いに答える代わりに、夕鈴の額にそっと口付けた。



※リクエスト内容は
『モテモテの夕鈴に対しての陛下の嫉妬』

SNS初出2013年6月8日

日常

SNSでの足跡21000hitのリクエストです。



白陽国に朝が訪れる。
早起きの夕鈴は今朝も小鳥のさえずりに目を覚まし、寝台の上で上半身を起こすと、うーんと一つ伸びをした。
今朝も良い天気ね、と窓の外を眺めていると
「お妃様、お目覚めでしょうか?」
と侍女の声がした。


着替えを終えた夕鈴が侍女に髪を結ってもらい、卓の上に朝餉の支度が調った頃、陛下が部屋へと入って来た。
「我が妃よ、爽やかな朝だな」
「おはようございます、陛下。今朝もご機嫌麗しく…」
礼を執った夕鈴の顎に手をかけ、顔を自分に向けさせた黎翔は
「ああ、私の愛しい妃に会えたのだ、機嫌も良くなろう」
と微笑んだ。夕鈴は上目遣いに黎翔を見ながら
「あの、昨夜もお会いしましたが……」
と小さな声で言ったが、黎翔は一層笑みを深め
「そんな昔の事…君に会えない時間は、私にはとても長い物なのだ。我が妃は良く眠れたか?」
と尋ねた。
「は、はい。ぐっすりと」
「そうか……昨夜は少し疲れさせてしまったかな」
意味ありげに目を細める黎翔に、夕鈴は昨夜の事を思い出す。
(疲れ…?確かに昨夜は陛下のお渡りが遅かったし、新しい双六が面白くていつもより長く遊んじゃったけど……)
「…いえ、私が望んだ事ですから、疲れなど感じませんわ」
頬を染めながら言う夕鈴に、黎翔は軽く目を瞠るとクックッと笑った。
「そんなに可愛らしい事を言われては、離れ難くなってしまうな」
そして夕鈴の頬を一撫でしてから手をとり、朝餉の並ぶ卓へといざなった。

陛下を送り出した後、夕鈴は掃除婦のバイトに行こうかと、よく晴れた空を見上げながら思った。
と、そこへ黎翔付きの侍女が、黎翔からの言付けを伝えに来た。
「陛下が本日の休憩時間に、四阿にてお妃様とのお茶をご所望でございます」
優雅に礼を執り伝える侍女に、夕鈴は必ず伺いますと返事をしてから、お茶うけは何が良いかしらと考え始めた。

「陛下、お待たせいたしました」
四阿の椅子に座る黎翔に声をかけると、黎翔は立ち上がり
「来たか――離れている間も、私の心を捕えて放さない我が妃よ」
と夕鈴に微笑んだ。夕鈴は恥ずかしさから顔を真っ赤に染めたが、侍女から菓子箱を受け取ると
「お茶うけにと思いまして」
と卓の上に置き蓋を開けた。中には見るからに涼しげな色あいの、丸い物が入っていた。
「これは?」
「厨房から餡を分けて頂いて、葛で包んでみました」
珍しそうに眺める黎翔に、夕鈴が笑顔で答えた。
「変わったお菓子を作ってみたくて、お菓子の作り方が書かれた書簡を女官から借りたんです」
「確かに変わった菓子だな」
黎翔はその丸い菓子を一つ摘み口にした。
夕鈴はお茶を淹れ
「東の国のお菓子らしいですよ?」
と言いながら黎翔の前に茶杯を置いた。その夕鈴の手を黎翔は掴み、指先に口付ける。
「我が妃の心の様に、優しい味の菓子だな」
「へ、陛下ったら…」
夕鈴は掴まれていない方の手で頬を覆うが、耳まで染まった赤さを隠す事は出来なかった。
「――ところで、我が妃には苦手な物は無いのかな?」
「え?」
黎翔は夕鈴の手を放すと、ついっと地面を指差した。
「そこに――」
黎翔の指差す物を見た夕鈴は
「きゃーっ!!」
と大きな悲鳴と共に黎翔に抱き付いた。
悲鳴を聞きつけ駆け寄ってきた侍女達も、地面にいる大きな蛙を目にして固まってしまった。
皆から注目されているのに気付いたのかどうか、やがてその蛙はノソノソと植え込みの中へ消えていった。
「――行ったぞ」
黎翔の冷静な声に、震えながら抱き付いていた夕鈴は我に返り、ぱっと身を離した。
「我が妃にも苦手な物があったか」
ニヤリと笑う黎翔に、夕鈴はカタカタと震えながら
「あ、あ…あんな大きな蛙、初めて見ましたっ!!」
と涙目になりながら訴えた。
黎翔はクスリと笑い夕鈴の手をひくと、ぽすんと自分の胸に夕鈴を倒れ込ませ、腕を回し閉じ込める。
「妃の手作りの菓子の匂いに惹かれたか」
「か、蛙がですか!?」
自分の顔を見上げる夕鈴の背を撫で、黎翔は目を細め囁く。
「それほど妃が魅力的だという事だ――私以外が惹かれるのは面白くないがな」
「なっ何言ってるんですか!!」
黎翔は夕鈴の耳に顔を寄せ、耳たぶをかすめるように小さく囁く。
「侍女達がまだ側にいるよ?」
うっ、と夕鈴は黙り、多少ひきつりながらもお妃スマイルを顔に貼りつける。
「へ…陛下ったらお戯れを」
黎翔はそんな様子を楽しそうに眺めながら、夕鈴の腰をさらい自分の膝の上に座らせる。
「やはりこの方が落ち着くな」
にっこりと笑みを向ける黎翔に、私は落ち着きませんっ!!と叫びたくても叫べない夕鈴は、ただただ顔を赤らめ俯いた。


白陽国の王と妃の、そんな何でもない日常のお話。



※リクエスト内容は
『陛下と夕鈴のイチャラブ話を甘目で』

SNS初出2013年6月6日

ホストクラブ白陽④

「それで、何を買うんですか?」
「んー…服、かな」
黎翔の答えに間があった事に夕鈴は怪訝そうな顔を向けたが、黎翔は相変わらずニコニコと笑っている。
「…何だか、お店と雰囲気違いますね」
「あっちは仕事だからね」
スッと目を細めた黎翔の表情に、夕鈴の胸がドキンと高鳴った。
「接客業だから、少しはキリッとした顔してないとね」
「…とても、綺麗な顔だと思いますけど」
口からつい本音が漏れた夕鈴は、慌てて口を覆った。
黎翔はクスッと笑うと
「ありがとう」
と夕鈴の耳の側で囁いた。
「ふ、服ってどんなのを探してるんですか?」
なるべく黎翔から離れるようにして言う夕鈴の態度に黎翔は苦笑すると
「そろそろ夏物を見たいかな」
と明るく言った。
駅前の大通りには様々な店が軒を連ねている。夕鈴は恐る恐る黎翔に尋ねた。
「あの…まさかブランドショップとか?」
「いや、普通の店だよ?」
何故?と尋ねる黎翔に、夕鈴はほっとした顔で
「ホストの人って、そういうイメージがあって…」
と笑った。
「やっと笑顔が見られた」
微笑みながら黎翔は続ける。
「初めて会った時から、今まで笑顔が見られなくて、とても残念だったんだ」
黎翔は夕鈴の顎に指をかけ自分に向かせた。
「思った通り…花のような可憐な笑顔だね」
―――やっぱりこの人、根っからのホストだー!!
夕鈴は叫びたい気持ちを押さえ込み、真っ赤な顔で黎翔に言う。
「あのっ道路でそういう事言うの止めて下さい!!」
「二人きりの場所なら良いの?」
顎に手をかけられたまま、近い距離で黎翔が微笑む。
その魅力的な微笑みに思わず見惚れそうになりながらも、夕鈴は強い口調で言った。
「二人きりになんて、なりませんからっ!!」
「―――そう?」
ニヤリと笑った黎翔は、夕鈴の手を引くようにして一軒の店に入って行った。

カジュアルな男性用の服が並ぶ店内を見渡し、夕鈴はまるで青慎が来るような店ねと思った。
「あの…本当にここで良いんですか?」
「うん、基本的に私服ってあまり着ないんだよ」
―――そう言えば昼間は寝てるって言ってたわよね。夜はお仕事だし…
「…家で何を着てるんですか?」
「普通にTシャツとかかなぁ」
黎翔は話しながら、目の前の棚に並べられた服を見ている。その中から一着抜き出し広げた黎翔は、自分の体に当て夕鈴に聞いた。
「コレどうかな?」
細身の黒いTシャツ。どことなくホストっぽさが滲み出て見えるのは、気のせいかしらと夕鈴は首を傾げた。
「気に入らない?」
「あ、違うんです」
手を振りながら言う夕鈴に、黎翔は穏やかに笑むと
「夕鈴が選んでくれる?」
と笑みを深くした。
「わ、私が選ぶんですか!?」
「彼女に見立ててもらうの夢だったんだ」
嬉しそうに幻の尻尾を振りながら言う黎翔を横目に、彼女じゃないのにと呟きながら夕鈴は目の前の服達を眺める。
「…何でも着こなしそうですよね」
「そんな事ないよ」
夕鈴は悩みつつ、あちらの服、こちらの服と広げて黎翔と服を交互に見ている。
「好きな色とかあります?」
「特にないけど…」
男物の服と言えば、父と弟の服しか選んだ事のない夕鈴にとって、黎翔の服を選ぶのはとても難しく思えた。
「コレ…とか?」
夕鈴がおずおずと黎翔に当ててみたのは、紺地に目立たないプリントが小さく入った、どちらかと言うと地味な感じのTシャツだった。
「こういうの好きなの?」
夕鈴の手からそれを受け取りながら黎翔が尋ねた。
「派手な物より、黎翔さんに合うかなぁって…」
その言葉を聞いた黎翔は、少し驚いたような顔をした後でにこっと笑顔になった。
「やっと僕の名前を呼んでくれたね」
「え?」
「覚えてくれないんじゃないかと、ちょっと心配だったんだ」
頬を赤く染める夕鈴に嬉しそうな笑顔を向け、黎翔は夕鈴が選んだ服を持ちレジへ向かった。
レジの店員に黎翔が何かを告げると、店員は同じ服を持ってきて一緒に袋に入れた。
「え?二枚買うんですか?」
「うん」
にこにこと上機嫌な様子の黎翔を見て、そんなに気に入ってくれたのかしら、と夕鈴は思った。



SNS初出2013年5月17日

ホストクラブ白陽③

並んで歩いていた夕鈴が、黎翔に恥ずかしそうに赤い顔を向けた。
「あっ、あの…手を離して頂けませんか?」
「ん?歩きにくい?」
黎翔は夕鈴の腰に回していた手を外すと、今度は夕鈴の手をきゅっと握った。
「えっ!?何で!?」
「今日は人が多いからね。はぐれたら大変でしょ?」
にこりと笑う黎翔の言い分は正しいような気もして、夕鈴は一度口を閉じたが、やはりそれは違うだろうと黎翔の顔を見上げた。
「子供じゃないんですから、大丈夫ですっ」
「でも、繋いでいないと君の事が心配なんだ。まるで心まで離れてしまうようで」
じっと自分を見つめる黎翔の瞳から逃れるように、夕鈴は顔を背けた。
「や、やっぱりお上手ですね」
「…え?」
握られていた手の拘束が緩んだと思ったら、指と指の間に黎翔の指が通された。
ぎょっとした夕鈴が手を見ると、黎翔は静かな口調で言った。
「上手って…僕は自分に正直なだけだよ?」
「…さすがホストって気がしますけど」
ひどいなぁと黎翔は笑いながら言って、絡めた指に軽く力を入れた。
「あ…あの、この繋ぎ方、恥ずかしいんですけど」
「―――初心なんだね。可愛いな」
クスッと笑う黎翔の瞳が夕鈴を捕える。夕鈴は自分の頬が熱くなるのを感じながら、黎翔の手から逃れようとしたが無駄だった。
「あのっ、人が多いって言ってましたけど、いつもこんなものですよ?」
だから手を放して下さいと懸命な様子で言う夕鈴に、黎翔の頬が緩む。
「そうなんだ。僕は夜しか歩いた事ないから」
「――昼間は何してるんですか?」
首を傾げる夕鈴の仕草が可愛いと、黎翔は繋いでいない方の手で夕鈴の頬を撫でた。夕鈴から上がる小さな悲鳴すら愛しいと言うように黎翔は目を細める。
「昼間は寝てるか、ぼーっとしてるよ」
「え、そ、そうなんですか…彼女と出かけたりしないんですか?」
「今してるよ」
楽しそうに言う黎翔に、夕鈴は言葉を詰まらせた。
「お店が開いてる時に歩くの久しぶりだな。しかもこんな可愛い子と歩けて嬉しいよ」
「~~~っ!!」
夕鈴は居たたまれない気持ちで、真っ赤な顔のまま俯いた。そんな夕鈴の顔を、黎翔は覗き込む。
「夕鈴?」
「わ、私をからかってるんですか?」
顔を上げた夕鈴の目には涙が浮かび、黎翔は目を丸くした。
「可愛いとか気軽に言うし、付き合ってる訳じゃないのに手を握るし!!」
「……嫌だったの?」
途端にしゅーんと落ち込んでしまったような黎翔の態度に、夕鈴は怒っていた事も忘れポカンとしてしまった。
「――ごめんね…嫌ならもうしないから」
そっと夕鈴の手を放した黎翔は、眉根を下げた顔で窺うように夕鈴の顔を見た。
「気を付けるから…もう少しだけ付き合ってくれる?」
何だか幻の垂れた尻尾が見えた気がして、夕鈴はつい
「か、買い物だけならお付き合いしますよ」
と言ってしまった。
その夕鈴の台詞を聞いた黎翔はパアッと笑顔になり
「良かった~」
とニコニコしている。
早まったかしら、とこめかみを押さえる夕鈴の腕を掴んだ黎翔は、その腕を自分の腕に絡めさせる。
「えっ!?」
「夕鈴からなら良いでしょ?」
満面の笑みを浮かべて言う黎翔に、夕鈴はやっぱり早まった!!と後悔しつつ言った。
「あの、こんな所を見られたら困るんじゃないですか!?」
「…僕が?」
「彼女とか沢山いるんじゃないんですか?そういう方達に見られたら…」
黎翔は夕鈴の赤い顔をじっと見つめると、囁くような声で言った。
「僕の恋人は君だけだよ」
「こっ恋人って…私は違いますからっ」
必死に言い返す夕鈴に、フッと笑った黎翔は
「じゃあ、僕が勝手に恋人と思っているだけ。僕の心の恋人だよ」
と額に口付けた。気絶しそうになる自分をどうにか留まらせた夕鈴は、どうしたら自分の言葉が通じるのかと目の前の人物に溜息を吐いた。



SNS初出2013年5月15日

睡蓮-すいれん-

SNS内でリクエスト募集したお話の五作目です。
※捏造あります



「夕鈴、たまには少し遠くへ散歩に行こうか」
夜の『夫婦の時間』に、黎翔はお茶を飲みながら夕鈴に問いかけた。
「え…遠くって、どこですか?」
夕鈴は自分の茶杯にお茶を注ぎながら尋ねる。
「そんなに遠くではないけどね、後宮の一番奥の方に小さな池があるんだ」
「池…ですか?」
首を傾げる夕鈴に、黎翔は軽く笑むと
「今頃、睡蓮が咲くんだよ。湧き水の池だから水が澄んでいて綺麗だし」
と言葉を続けた。
「睡蓮…見てみたいですね」
にっこり微笑む夕鈴に、黎翔は明日の休憩時間に行こうと約束した。


翌日、本当に自分を迎えに来た黎翔に夕鈴は驚き尋ねた。
「こんなに早く休憩時間がとれたんですか?」
「この時間でないと、睡蓮の花が閉じてしまうからな」
まさかお仕事を抜け出して来たんじゃ…とジト目で見る夕鈴に、黎翔は苦笑しつつ言った。
「李順に許可はとった」
「……本当ですね?」
まだ疑わしい目を向ける夕鈴の髪を一房すくい、指に絡めた黎翔は
「夫の言葉が信じられぬのか?」
と髪に口付け、夕鈴を見つめた。
「しっ、信じますからっ」
頬を真っ赤に染める夕鈴に微笑みながら、黎翔は夕鈴の華奢な手をとった。
「それでは我が妃よ、睡蓮の花を愛でに行くか」
「……はい」
袖で口元を隠し、恥ずかしそうに俯き加減に返事をする夕鈴と、上機嫌な黎翔の様子に、側に控える侍女達の顔にも笑みが浮かぶ。

後宮の庭園に降り立った二人は、優雅な所作で寄り添い散策を楽しんでいる。
嬉しそうに頬を染め何かを話す妃と、妃に愛おしそうな笑顔を向け話を聞く国王の姿を、二人きりにするようにと言われた侍女達はいつまでも見送っていた。

「夕鈴、大丈夫?疲れない?」
「大丈夫ですよ、ちょうど良い運動です」
二人は後宮の庭園を奥へ奥へと進んで行く。流石に、かつては数百人の妃を抱えていた後宮だけあって、建物も広くそれに付随して庭園にもかなりの広さがあった。
「…この辺りは来た事がありませんね」
周りを見回しながら言う夕鈴に、黎翔は口角を上げ
「もうだいぶ外れの方だからね。景色が気に入っても一人では来ちゃ駄目だよ?」
と元気な兎に釘をさした。夕鈴は頬を膨らませ
「分かってますっ」
と怒ったように言うが、黎翔は重ねていた手をきゅっと握り心配そうな瞳を向けた。
「僕といる時以外は、必ず侍女を伴って行動してね」
「――陛下?何かありました?」
黎翔の揺れる瞳に何かを感じ取った夕鈴は、黎翔の顔を見上げながら尋ねた。
「うん?――――いや…広い庭園だから迷子にならない様にと思ってね」
「そう、ですか…」
これ以上は聞いても答えてくれないだろうと夕鈴は思ったが、ただ黎翔にそんな悲しい顔をしないでほしいと握られた手に力を込めた。

後宮の庭園は、いつも夕鈴達がいる辺りはとても綺麗に整備されているが、奥へ進むに従ってあまり手入れもされていない風情になってきた。
けれども道は道として認識できるし、周りの木もある程度の剪定はされているようだった。
「こんなに奥の方まで手入れされているんですね」
夕鈴が不思議そうに言うと、黎翔は何でもない事のようにさらりと返した。
「あぁ、万が一誰かが侵入しても隠れる場所がないようにね」
「――物騒な話ですね」
夕鈴は絶句しつつも、そのもっともな意見に納得した。
いつもの整備されている道とは違い、小石や窪みなどのある道を歩き続けた夕鈴は、段々とかかとに痛みを覚え始めた。
夕鈴の歩みが変化した事に気付いた黎翔は、足を止め夕鈴の顔を覗き込んだ。
「――夕鈴?もしかして足を痛めた?」
「え!?あ、その…何でもないです、から…」
語尾が小さくなり、自分から目線を逸らした夕鈴を、黎翔はひょいっと抱え上げそのまま歩き出した。
「へ、陛下?」
「ひとまず池まで行こう。あそこなら綺麗な水があるから足も冷やせる」
黎翔が夕鈴を抱え急ぎ足で進んで行くと、それからさほど経たないうちに開けた場所へ出た。
見ればそこには小さな池があり、水面を可憐な睡蓮の花と葉が覆っていた。
小さいとは言っても他の池と比べたら、という事であって、それなりの広さがある池を覆い尽くす睡蓮の姿は圧巻であった。
夕鈴はまるで絨毯のように敷き詰められた葉や、その合間に咲き乱れる様々な色の瑞々しい花に目を奪われる。
言葉も無く花に見入る夕鈴を抱えたまま、一本の木の下にある陶製の古ぼけた椅子に腰を降ろした黎翔は、夕鈴の衣の裾をそっとめくり足首を確かめた。
「――腫れてはいないようだが…」
その言葉にハッとした夕鈴は、裾を捲っている黎翔の腕を慌てて掴んだ。
「違いますっ!!くじいたわけでは…」
黎翔は夕鈴の裾を戻すと沓に手をかけた。
「――っ!!」
眉間にシワを寄せる夕鈴の顔を見た黎翔は、立ち上がると夕鈴を椅子に座らせ、自分はその前に片膝を付いた。
そして立てた膝の上に、沓を脱がせた夕鈴の足を乗せ眉をひそめた。
「――水疱が出来ているな……無理をさせたか」
「新しい沓でしたし、長く歩くのも久しぶりで…下町にいた頃はこれくらいの距離、なんでもなかったんですけどね」
努めて明るく言う夕鈴に、黎翔は苦笑しながら立ち上がり池へ向かった。懐から手巾を取り出すと半分に裂き水に浸す。
そして夕鈴のもとに戻ると、その足に手巾を巻き付け顔を見上げながら
「きつくはないか?」
と尋ねた。夕鈴が頷くのを見てから、黎翔はもう片方の沓も脱がせる。
「やはりこちらもか」
同じ様に手巾を巻きながら、黎翔はまるで自分が痛むかの様な顔をした。
「あの…そんなに痛くないですから」
夕鈴が言い終わらないうちに、黎翔は夕鈴をきつく抱き締めた。
「――陛下?」
「君に、痛い思いをさせるつもりじゃなかったんだ」
その縋り付くような抱擁に、夕鈴は先程の心配そうな瞳をしていた黎翔を思い出した。
「何か、悲しい思い出でも?」
「――ここは、母が好きだった場所なんだ」
ぽつりと呟く黎翔の背に、夕鈴はおずおずと手を回し、ポンポンと軽く叩いた。
「陛下、私は大丈夫ですよ?」
「――うん」
小さく返事をした黎翔に、夕鈴は言葉を続ける。
「あの……陛下、お願いがあるのですが」
黎翔は夕鈴に回した腕から力を抜くと、少し体を離し夕鈴を見つめた。
「何?」
あまりにも近い距離と、その真剣な眼差しに夕鈴の鼓動が速まるが、夕鈴は袖で頬を覆いながら言った。
「こ、この足では歩けませんので、その…後宮まで私を運んで下さいませんか?」
「――うんっ!!」
途端に、にこっと嬉しそうに笑った黎翔の顔を見て、夕鈴も微笑みを返す。
黎翔は夕鈴を横向きに抱き上げると、その頭に頬を寄せた。
「痛い思いをさせて、ごめんね」
「……いいえ、美しい物を見せて頂けて嬉しかったです」
夕鈴は黎翔の肩越しに見た美しい風景を、そして黎翔が自分を思い出の場所に連れて来てくれた事を、決して忘れないでいようと思った。



※リクエスト内容は
『靴擦れする夕鈴』

SNS初出2013年6月1日
プロフィール

*へもへも*

Author:*へもへも*
『狼陛下の花嫁』の二次創作小説がメインです。

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